-探してしまう自分-
翌日から、彼の通勤は変わった。
時間は同じ。路線も同じ。
それなのに、無意識に車両を選んでいる。
混雑の中で、視線だけが先に動く。
座席。足元。背筋の通った影。
いないと分かっているのに、目が探す。
――偶然だ。
――ただ印象に残っただけ。
そう言い聞かせても、心は納得しない。
彼女の声が、耳の奥に残っている。
低く、短く、断定的な一言。
あれは注意でも警告でもない。判断だった。
ホームで立ち止まり、人の流れに紛れる。
自分がどんな顔をしているのか、分からない。
恥ずかしさが遅れてくるたび、胸の奥が熱を持つ。
電車に乗る。
視線を落とす。
それでも、足先の動きに反応してしまう自分がいる。
気づかれていた、という事実―。
見られていた、という前提―。
それを否定しない自分に、静かな驚きがあった。
駅に着くと、歩く速度が少しだけ遅くなる。
振り返らない。
でも、背後の気配を期待してしまう。
当然、何も起こらない。
香水の残り香も、声もない。
それでも、彼は理解する。
探しているのは、彼女そのものではない。
あの一瞬で与えられた立場。
見抜かれ、決められた感覚。
自分は、選ぶ側でいたはずだ。
なのに今は、選ばれた痕跡を探している。
電車のドアが閉まる音が、やけに大きく聞こえた。
彼は息を整え、前を向く。
――次に会ったら。
その続きを考えそうになって、思考を止めた。
止められるうちは、まだ大丈夫だと、どこかで信じながら。
つづく。
著者名:一色 密
編集部|日向ネオン
※本作は連作小説です。
次話は近日公開予定。
